『精神分析入門』第二部「夢」その2

だいぶ読み進めてしまった。第七講から第十二講まで。

第七講「夢の顕在内容と潜在思想」では、自由連想(183)、無意識(184)、抵抗(188)、夢の顕在内容(196)、潜在思想(196)など重要語句が一気に導入される。事例も多いが、理論構築の講義。

第八講「小児の夢」では、子どもの見る夢を取り上げつつ、「夢を引き起こすものは、つねに願望でなければならず、憂慮や計画や非難ではありえない」(212)ことが説明される。願望充足の講義。

第九講「夢の検閲」は夢の行う歪曲を「検閲」と呼ぶ。

ほか、興味深い点として、「心的生活の中に無意識的な意向があると仮定すれば、意識的な生活の中でこれと反対の意向が支配的であるからといって、それは無意識的な意向がないと言い切るだけの証明力をもつ事実ではない」(240)、「心的生活の中には対立的なもろもろの傾向、すなわち矛盾の共存を容れる余地があるのでしょう」(240)といった指摘があった。

第十講「夢の象徴的表現」は、性的な事柄に関する夢の対照表現のリスト化。大抵が性器の象徴になってしまう。臨床上の事例にぶつかって、それを既存のモデルでさばくことが出来なくて、したがって、自己批判を重ねてモデルを練り上げて行く……という思考のプロセスをある程度垣間見せるフロイトの論述方法がここにはない。

「ある対象がつねに別の対象の代わりに据え置かれることを可能にする諸対象間の思考関係、比較対照、ほかでもない無意識的知識」は「そのつど新たに作り上げられるものではなく、すでに出来上がっているもの、最終的に完成され終わっているもの」(276)という。この講義では、当時の「神話学、人類学、言語学民俗学」(275)が露骨に参照されるが、モダニズムの時代の原始的なものへの関心がここにも見出されるが、「人類普遍の」といった傾向のある議論で、集合的無意識まであとちょっとというところだろう。

第十一講「夢の作業」では、夢の歪曲として、圧縮(285)、移動(289)、思想の視覚像への翻訳(291)を取り上げる。理論的には核となる講義だろう。

ここでは、圧縮作用が「同一の乾板のうえにいくつもの写真を撮影」(286)したかのようと言った比喩がまず面白い。当時の心霊写真のトリックと一緒。

また、思考の映像化についてもいくつか面白い指摘が。たとえば、人物や具体的事象は「用意に、しかもおそらくはかえって上手に絵で翻訳」出来るのに対して、「抽象的な言葉や、前置詞のような不変化詞、接続詞[「なぜ、だから、しかし」(294)]などのような思考関係」(292)などは映像では示すのが難しい、「「否定」の表現、少なくとも「否定」の明白な表現が、夢の中には見つからない」(297)という指摘。

第十二講「夢の分析例」は事例集と言っていいだろう。